転職
今年私のところに来た年賀状の中に「日本棋院を定年退職しました」というのがあった。そこでじっと我慢することも大事だが、また時
には転職する勇気も必要である。
今の新卒はいいですよねえ」
自嘲を含んだため息をつきながら、Sさん(25歳)はつぶやいた。
「生まれた年が数年違うだけで、こんなにも差がつくなんて」その人は弘前大学の囲碁部出身で、卒業後一度大手の文房具メーカーに
就職したが、2、3年でやめ、「碁が好きだから、碁と関係のある仕事をしたい」と言って、プロ棋士の組織である日本棋院に乗り込んで!「雇ってください」
と言った。人事部長がその意気に感じたのか、すぐに雇ってくれた。それから30年あまり、彼は棋院の事務職員としてプロ棋士の世界にどっぷりつかって楽し
そうだった。
このごろ、就職して3年もすると辞めてしまう若者が多いといって、重大な社会問題であるかのように言われることが多いが、時には辞める決断が、人生を変
えることもある。新卒者が会社などに入るのは、未知の世界に入ることだから、期待とちがうことも少なくない。
現在の売り手市場とは真逆で、四年前のSさんの就活は挫折の連続だった。
第一希望の広告業界では面接を受けることも出来ず、妥協に妥協を重ねて中小企業の金融A社に入社。大量採用をかけていたA社なので、それなりに将来性があ
る企業なのだろうと期待していたが、それは単に辞めてしまう社員が多いだけのことだった。就活時の説明とはまったく違う働き方・ノルマ・社内の雰囲気…、
Sさんは入社後すぐに「騙された」と思ったが、他社に転職した同期が「大企業に転職できるならともかく、俺らのレベルじゃ、どこへ行っても同じ」と言って
いるのを聞いて、Sさんは我慢して働き続ける道を選んだのだった。
私がオーストラリアで聞いたことだが、あの国では、若いうちは、3年に一度ぐらいの割合で転職するのがふつうだということだった。辞めるのが一概に悪い
とは言えない。それがより自分に合った仕事を求める試行錯誤として必要なこともある。問題なのは、そこでどうするのが自分にとっていいのかを判断する能力
があるかどうかである。
30年ほど前、弘前大学の教育学部の学生で、バード・ウオッチングに熱中し、講義をさぼって岩木山や八甲田や、時には下北方面にまで出かけていく人がい
た。教員採用試験の面接で「どこの学校に勤務したいか」と聞かれ、彼は「龍飛小学校」と言った。理由は、龍飛岬は北の渡り鳥がみんな通る道筋にあたってい
て、野鳥観察のメッカだから、ということであった。
そのころ龍飛と言えば辺境であって、そこに配属されると島流しのように感じる人もいたという。そんなところに進んで勤務したいと希望したので、面接した人も感動し、県の方でもよろこんだことは言うまでもないと思う。彼は希望通り龍飛小学校の先生になった。
実はそのころ、NHKの仙台支局がラジオ・ドラマを募集していると聞き、私はラジオ・ドラマというものを一度書いてみたいという興味から書いて、応募し
た。「岬に生きる」という題で、龍飛の先生になった彼を主人公にしたものだった。それが入選し、仙台支局から放送された。その稚拙なドラマが採用されたの
は、私がその若者の生き方に共鳴し、その感動を「そのまんま」伝えたからだと思っている。だれにでもできるというわけではないが、そういう生き方もある。

